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ブルゴーニュの宝石 ロマネ・コンティ

「至上のワイン」「至福のワイン」「世界最高級のワイン」…と、最上級の言葉で称賛されているロマネ・コンティ。開高健という作家も『ロマネ・コンティ1935年』という本を出していますが、ワイン愛好家なら一度は口にしてみたい憧れのワイン。そんな王者のワインをとりまくエピソードも、スケール大!!なんです。

偽造防止のいろいろな手段

ロマネ・コンティはエチケットの上にもう一つベルト状のラベルがついていることがあります。 DRCはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの略。分かりやすく言うなら、「ロマネ・コンティ醸造所」といったところでしょうか。この醸造所は有名なグラン・クリュ畑をいくつか所有していて、そのなかの一番の銘品が、約1.8haの小さなアペラシオン「ロマネ・コンティ」です。
畑は小さいですが、人々を虜にする力はビッグ!年間生産量は、平均して6千本くらいしかありません。ボトルのラベルには、その年の生産本数と瓶詰め番号が記されています。
また、すべてではありませんが、エチケットの上にもう一つベルト状のラベルがついていることがあるのですが、こちらには一番最初の所有者の名前が記入されています。これらはすべて、偽造防止のため。著名人を守るのは、大変ですね。(※ベルト状のラベルは、最近のヴィンテージには使われておりません。)

5千万円以上のロマネのコレクション

2008年4月、ロンドンでロマネ・コンティの記録に残るオークションがありました。27本のワイン・コレクションで、25万433ポンド(約5130万円)。
北京を本拠地にしている中国人の実業家が競り落としたもので、内容は、貴重なヴィンテージ‘78年の12本セットのほか、‘61年と‘96年がそれぞれ2本、そして‘90年・‘99年・‘2002年などの偉大なヴィンテージが各1本含まれていたとか。1本当たり、約190万円!ロマネ・コンティの取引としては記録的な高額で、この実業家は‘82年のシャトー・ペトリュス1ケースも、3万ポンドで購入したことがあるらしいです。羨ましいお話です!

宮廷内に広まった王様の胃腸薬(!?)

17世紀に君臨していた、太陽王・ルイ14世のお抱え医師ファゴンは、王様の持病の治療薬として、ブルゴーニュのなかでもとびきりの美酒を、毎日スプーン数杯、処方していたといいます。ルイ14世は胃弱や通風など複数の病気を患っていたとか。あまりの美味しさに、薬として与えられたワインの虜になってしまったルイ14世。けれど、醸造量はわずかで高価、太陽王といえども、思いのままに飲めないのがつらいところです。
ドクター・ファゴンが王様に飲ませたのは、後に“ロマネ・コンティ”と呼ばれるようになるブルゴーニュの赤ワインで、ヴォーヌ・ロマネ村のサン・ヴィヴィアン修道院が持っていたぶどう園のぶどうから造られたワインでした。

ヴェルサイユ宮殿の高貴な闘い

ヴェルサイユ宮殿の名花といわれたポンパドール夫人。ルイ15世の愛情をほ欲しいままにしていましたが、先代のルイ14世が愛飲していたヴォーヌ・ロマネ村の小さなぶどう園が売りに出ていることを知ると、手に入れてルイ15世を悦ばせようとしました。
その情報をキャッチした、宮廷内で夫人とライバル関係にあったコンティ公。破格の大金を用意して策を練って、自分の所有にし、自分の宮殿でしか飲めないようにしてしまいました。1749年のことです。これが「ロマネ・コンティ」の名前の由来です。「ロマネ」の部分は、この畑を生みだしたローマ人(古代ローマ時代にまでさかのぼる)への感謝に捧げられているんですよ。
ヴェルサイユ宮殿

純粋な直系のロマネ・コンティ

フィロキセラでフランス全土のぶどうがやられたときのこと。ブルゴーニュのヴォーヌ・ロマネ村も例外ではありません。ワインの造り手たちは、カリフォルニアなどから樹を手に入れて再生に成功しました。 ロマネ・コンティの畑もフィロキセラで全滅し、全ての木を引き抜くはめに陥りましたが、その後の処置が違いました。以前ラ・ターシュの畑に移していたロマネ・コンティのぶどうの樹を再び戻してきて、それを全滅した畑に植え、ロマネ・コンティの樹を護り続けたんですよ。つまり、現在のロマネ・コンティの樹は、純粋な直系ロマネ・コンティというわけです。純血を守ったんですね。
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