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カリフォルニアワインの歴史

生産量、名実ともにアメリカ随一の銘醸地、カリフォルニア。巻頭特集でもカリフォルニアワインの成り立ちについては軽く触れましたが、ソムリエ講座ではもう少しだけ詳しく、きっちりお話いたしましょう。

伝道とともに伝わったぶどう

20世紀に入り、ヨーロッパで猛威を振るっていた害虫フィロキセラが、カリフォルニアにも蔓延します。しかし、カリフオルニアのワイン産業に決定的な打撃を与えたのは、1920年に施行された禁酒法です。禁酒法の下では、販売目的のワイン製造はすべて禁止。宗教儀式用あるいは医療用として許可を受けたワイナリーのみに製造が許されました。その結果、ほとんどのワイナリーが廃業に追い込まれ、カリフォルニアワインは大きく衰退します。しかし禁酒法は飲酒自体を禁じてはいなかったため、施行される直前の1919年後半には、ワインをはじめたくさんのお酒が買い溜めされる騒動になりました。
カリフォルニア・ミッションでもっとも古い、ミッション・サンディエゴ・デ・アルカラ

ゴールドラッシュ

ワイン生産の知識を持ったひとりが、ハンガリー貴族のアゴストン・ハラスティ伯爵。 1933年の禁酒法廃止後、ワイナリーの再建が進みます。1950年代には、栽培と醸造の研究機関であるカリフォルニア大学デイビス校によってそれぞれの土地に適した品種や醸造法が確立され、アメリカのワイン造りは、「量」から「質」へと新たな時代に入ります。そして1966年、ロバート・モンダヴィがワイナリーを設立。ステンレスタンクの使用など、カリフォルニアの革新的で画期的なワイン造りが始まります。1970年代に興ったブティック・ワイナリーでは、シャルドネのオーク樽発酵、ピノ・ノワールの低温醸しなどさまざまな試行錯誤によって、カリフォルニアのワイン醸造技術は世界最先端のものとなっています。

禁酒法

違法な酒造所の強制捜査で下水道に廃棄される密造酒 20世紀に入り、ヨーロッパで猛威を振るっていた害虫フィロキセラが、カリフォルニアにも蔓延します。しかし、カリフオルニアのワイン産業に決定的な打撃を与えたのは、1920年に施行された禁酒法です。禁酒法の下では、販売目的のワイン製造はすべて禁止。宗教儀式用あるいは医療用として許可を受けたワイナリーのみに製造が許されました。その結果、ほとんどのワイナリーが廃業に追い込まれ、カリフォルニアワインは大きく衰退します。しかし禁酒法は飲酒自体を禁じてはいなかったため、施行される直前の1919年後半には、ワインをはじめたくさんのお酒が買い溜めされる騒動になりました。

「量」から「質」への転換

大観光地になっているロバート・モンダヴィ・ワイナリー 1933年の禁酒法廃止後、ワイナリーの再建が進みます。1950年代には、栽培と醸造の研究機関であるカリフォルニア大学デイビス校によってそれぞれの土地に適した品種や醸造法が確立され、アメリカのワイン造りは、「量」から「質」へと新たな時代に入ります。そして1966年、ロバート・モンダヴィがワイナリーを設立。ステンレスタンクの使用など、カリフォルニアの革新的で画期的なワイン造りが始まります。1970年代に興ったブティック・ワイナリーでは、シャルドネのオーク樽発酵、ピノ・ノワールの低温醸しなどさまざまな試行錯誤によって、カリフォルニアのワイン醸造技術は世界最先端のものとなっています。

番外編 パリ・テイスティング事件

1933年の禁酒法廃止後、ワイナリーの再建が進みます。1950年代には、栽培と醸造の研究機関であるカリフォルニア大学デイビス校によってそれぞれの土地に適した品種や醸造法が確立され、アメリカのワイン造りは、「量」から「質」へと新たな時代に入ります。そして1966年、ロバート・モンダヴィがワイナリーを設立。ステンレスタンクの使用など、カリフォルニアの革新的で画期的なワイン造りが始まります。1970年代に興ったブティック・ワイナリーでは、シャルドネのオーク樽発酵、ピノ・ノワールの低温醸しなどさまざまな試行錯誤によって、カリフォルニアのワイン醸造技術は世界最先端のものとなっています。
カリフォルニアワインの歴史でエポックメイキングな出来事といえば、カリフォルニアワインとフランスワインで対決した、1976年の「パリ・テイスティング事件」です。

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